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『大きな世界はどこにある』
服部清人
「やあ、久しぶり」
「長谷川先輩じゃないですか。ご無沙汰しています。どうしたんですかこんなところで」
大学を卒業して、事務用品を扱う会社に勤めていたのは五年前。長谷川は最初の就職先であったその会社を一年半で辞めてしまった。会社の一年後輩だった安永と偶然に出会ったのは私立高校の職員室前の廊下。両手に大きなダンボールを抱えて向こうからやって来た時、その顔つきですぐにわかった。安永は事務用品を納入に来ていた。
「ここで、教師してんだ。非常勤だけどな」
「ああ、そうですか。それはよかったですね」
「どう、会社のほうは」
「相変わらずです」
長谷川はちょうど次の授業まで時間が空いていたので、安永を校外の喫茶店まで誘った。
「坂田とか森とか中島とか、みんな元気でやってる?」
「森さんは今、転属して営業をしています。坂田さんと中島さんは退社されました」
「へえ、森は営業なんかできるタイプじゃないだろう。つまり、リストラ勧告前のいやがらせだな」
「業績は長谷川先輩がおられたころよりずっと落ちてきてます。あの頃は拡大拡大で右肩上がりでしたから、将来を見越して間接部門の人員を相当採りましたからね、長谷川先輩も僕もそうやって採用された口ですが、状況は一変してしまいました。確かに今はリストラの嵐です」
「大体が行き当たりばったりなんだよな、あの社長は」
長谷川は創業者であるワンマン社長の顔を久しぶりに思い出した。
「いや、社長はあれでいいんですよ。それ行けっ!後ろを見るな前を見ろ!って号令かけていればいいんです」
安永の言葉はちょっと意外だった。以前は一杯飲むと、社長や会社の方針を批判することで盛り上がった仲間であったのだ。
「ところで、長谷川先輩はもともと教師になりたかったんですよね」
「そういうわけじゃない。学生時代には教師になるための課程を受講してたけど、それも志あってのことじゃないし、この学校も腰掛けって感じだ。本当は絵を描いて生きていけたらいいなと思っていたんだよ。遠回りしたけど、やっとスタート地点に立ったかな、と思ってる」
「それは楽しみだなあ。うらやましいですよ。将来は画家先生ですね。こんな風に気軽に話してもらえなくなりますね」
「ニュートラルって言うのかなァ。今の俺は俺次第でどこへでも進んでいける。ギアのはいっていない状態であることは確かだよ」
外へ飛び出した自分がいかにも自由を謳歌しているような訳知り顔で、安永を諭していることに気がついて、長谷川はそれ以上の言葉をコーヒーと一緒に飲み込んだ。
「僕は駄目だなァ、長谷川先輩のような才能も勇気もないですよ」
「なに言ってんだ、そんな歳じゃないだろ。いくらでもやり直しはきくんだ。小さな会社の中でスッタモンダしてないでもっと大きな世界へ出てみろよ」
安永は昔から話し相手の一段下へすっと入り込む習性があった。長谷川はその姿勢と言葉につい乗せられて、余計なことまで喋らされたりもしたものだ。・・・以前と同じだ、と長谷川は内心で思った。
それから、しばらく会社の同僚のその後に関して話をしたが、お互い次の予定もあり、再会を約束して喫茶店を出た。
「車まで送って行くよ」
長谷川は荷物を半分持ち、安永の乗ってきた社用車のところまでついていった。
「ありがとうございました。奢らせちゃった上に荷物まで持たせちゃって」
「昔を思い出したよ。こうやって二人でよく配達にいったよな」
「そうでしたね。そんな時に一度、長谷川先輩今と同じこと言いましたよね」
「どんなこと?」
「もっと大きな世界を見ろよって」
「そうだったかなァ」
「でもね、先輩、大きな世界ってどこにあるんですか。今の会社は小さいけれど、僕にとっての世界のすべてなんです。僕はここで生きて行こうと思っています」
安永はそれだけ言って、長谷川の答えも聞かずに帰っていった。その一言は長谷川の胸に小さなしこりとなって残った。
了
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