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『水のかたち』
服部清人
「こういうことって長くは続かないと思う」
と、麻子のいつもの口癖。それがかれこれ三年は続いてきたのだ。
「三年なんて信じられないよ」
と、征司は思ったことをそのまま口にした。
「私だって不思議よ」
ガラスのコップを人差し指の爪ではじいて麻子は笑う。店の中に客は彼らだけだった。閉店時間まであと数分だった。カウンターの奥で食器を洗う音がしていた。
「僕達邪魔みたいだ」
「意地悪してやりましょうよ」
「どうやって?」
「「時間過ぎても帰らないの」
「それが意地悪?」
「そう」
「そんなことしても意味がないよ」
征司はコップの水で“Nothing ”とテーブルの上に書きながら言い捨てた。
「なんて書いたの?」
「ナッシング、無意味ってこと」
「あなたが思う意味のあることってどんなこと?」
麻子の口調が変わった。またかと思った。
「やめよう」
「どうして?」
「また繰り返しになるからさ」
「最近はそうやって事前回避するのね」
「防衛本能がはたらくんだよ」
「歳をとったんじゃない?」
「そうかもしれない」
「いやに素直ね」
麻子もコップの水を指先につけて何かを書きつけた。
「なんて書いたんだ?」
「s,o,m,e,t,h,i,n,g 綴りあっているかしら?」
「あってるよ。確かに何かがなくなった」
征司はそう言いながらレシートをとって席を立ち、彼女に背を向けた。と、同時にガラスの砕け散る音がして、征司は銃弾を浴びせられたように立ちすくんだ。麻子がわざとコップをテーブルの下に落としたのだった。厨房の奥から店の者がこちらを覗き見た。麻子は平然として征司から目をそらさなかった。何かが変わってしまったんだと、征司は思った。おさまる容器を失った水が床に流れて征司の足元を濡らした。
了
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